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重蔵神社 2

その名は舳倉島から来たという。

重蔵神社

祭神は天冬衣命あめのふゆきぬのみこと大国主命おおくにぬしのみこととある。 前者は祭神としては極めてマイナーな神だが、後者の父と聞けば、ほほぅ、大変な神様だな、と思う。

大体において次の系図のようになっている。 『古事記』ではスサノヲの5世孫「天之冬衣あめノふゆきぬノ神」とあり、 『日本書紀』の一書第四ではスサノヲの5世孫は「天之葺根あまノふきねノ神」となっている。#f01

『日本の神々:神社と聖地 第8巻』 は『能登名跡志』を引き

ぐら島」が古くは「ぐら島」と書かれたことを示し、 当社と舳倉島との関係を伝えている

と記す。 ちなみに、舳倉へぐら島は上の地図(地理院タイルを加工)のように 重蔵じゅうぞう神社のある輪島から50kmほど沖合にある。

重蔵神社には要石かなめいしがある

要石かなめいしとは地震を抑えると信仰され、鹿島神宮などが有名である。 ここ石川県能登半島の重蔵神社には要石があり、 先般の震災 もある程度この霊力で緩和したのだろうか?

さて、要石がここにあるというからには、かなり古い時代から能登には大震災が度々あったのだろうかと 考えたくもなる処だが『能登志徴』には「腰掛石」の話はあれども肝心の要石が載っていない。

そうしたら府和正一郎(2019)「珠洲市須須神社と輪島市重蔵神社の野外寄進物」『人文地理学会大会・研究発表要旨』pp.94-95 には、こうあった。

阪神淡路大震災が発生した1995年(平成7)の3年後、 大阪府在住の輪島市縁故者が地震を抑える要石を寄進している。

なるほど。200年ほど未来には立派な信仰が根付いているかもしれない。 なお『能登志徴』には「たぬき天神」も載っていないが、これはきっと見落としたのだろう。 いやきっとそうにちがいない。そうだといってくれ。と、狸たちは言うだろう。

輪島の丸柚餅子ゆべし

早朝の重蔵神社を散歩して輪島の朝市で買い物をする。

その足で和菓子屋の柚餅子総本家・中浦屋さんへ行く。 有名な輪島の「丸柚餅子ゆべし」が目当てだ(写真左)。 季節によっては「そば水羊羹」もある(写真右)。

そういう震災前の記憶の通りに、かならず復興するだろう。

ちなみに「季節」といっても東京じゃ水羊羹は夏といいたいところだが、このあたりでは冬らしい。 福井県の水羊羹が冬の風物詩というのは有名だと思うが、石川県もそうなのだろう。


メモ

天之冬衣神

天之冬衣あめノふゆきぬノ神と天之葺根あまノふきねノ神が 同じ名詞の転訛てんかと考えるのはごく普通の感覚だと思う。

さて、この神は三種の神器の1つ、草薙剣くさなぎノつるぎを天上へ奉献するシーンで知られている。 そのつるぎとは、素戔嗚尊スサノヲ八岐大蛇ヤマタノオロチを退治した際に発見したものだ。 5世代も離れた人が同一世代というのは違和感があるが、実際の人ではなくて神なので問題ない。

そもそも八俣遠呂智ヤマタノオロチ神話は似た話が東アジアから東南アジアに数多く発見される。 この辺りの話を良くまとめてくれているのは【大林太良(1961)『日本神話の起源』】のⅥ章で、

ジークフリートは自ら鍛えた神剣ノートゥンクをもって竜蛇ハフナーを退治し宝物を入手、 眠れる美女ブリュンヒルデの愛を得た。ヨーロッパのヤマタノオロチ物語である。

という書き出しからして、人によっては先制パンチを食らった気持ちだろう。

しかしそれでも慎重に、神話に僅かでも史実の反映があるかもしれないと研究される方も中には居られる。 国内外の神話と比較し、日本独自の要素を洗い出し、遺物や文献を解釈しよという、 大変な苦労を伴うわけだ。

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