納豆の事 1
サカナの納豆を一粒ずつ食べる方法について
サカナの納豆
酒の肴に納豆を一粒ずつ食べるといえば、おかしなことをするものだと 人はいうかもしれないが、まったくおかしくない、ということを書いてみたい。
おかしいというならば、そもそもが「酒の肴」という語からしておかしい。 私が見る限り江戸時代には登場する単語だが#f01 「肴」とは元来、酒を飲む際の食べ物で、「酒菜」の字に本質が現われている。 だから「肴」の一文字で「酒を飲む際の食べ物」であったはずである。 それが江戸時代のころから「魚」を意味する「魚」という単語に派生したらしく、 この派生の代償として本来の「酒を飲む際の食べ物」を言う場合は「 酒の 肴」などという妙な言葉を要請するに至った、と思われる。 細部は憶測だが、大体のことはWikipediaの「肴」 に書いてある。
というわけで、納豆とても酒のあてにつまめば「さかな」である。
爪楊枝でつまむ
ただし、納豆をつまむ、というのは些か気になる表現である。 大徳寺納豆などでもない限り、糸ひく納豆を素手でつまむのは流石に躊躇する。
ところが「おつまみ」という言葉。これも酒の肴であるが、 手でつまんで食べる 肴という意味から出来た言葉らしい。 で、この「摘まむ」という言葉だが、 『岩波古典字典』によると「摘み」が「爪」を活用させた語とあり、 要するに、手の端でピックアップすることを本来は意味するようだ。
だが、納豆を手の爪先で拾い上げるなど、できない。指が汚れる。 そこで爪楊枝の出番である。
もとより爪の代わりの楊枝であるから、爪楊枝という。 だったら、つまみをつまむために爪代わりに爪楊枝をつかうのは、どこもおかしな話ではない。
一粒ずつ食べる
可笑しいとすれば、納豆を一粒ずつ食べる事だろうか? 納豆というのは、予めよくかき混ぜて、これを飯に載せて、あるいは飯と混ぜて、 そうして食べるというのが一般である。従って、一粒ずつたべるなどという悠長なことを普通はしない。
しかし、肴として納豆を摘まむには、現実的に数粒ずつ食べる以外にありえない。 箸を使って一気にかき込んで平らげてしまっては酒菜として爪んだとは言い難い。 たとえ箸を使おうとも、「つまむ」以上は結局一粒ずつ、せいぜい数粒ずつとなるだろう。
こうしてみると、納豆を一粒ずつ食べる事というのは、酒にあてがう限りにおいて、 全然おかしくないということがだんだんと了解されてくる、とおもう。
メモ
- 江戸時代には登場する単語
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私は専門家でないので、初出など皆目見当もつかないが、 遅くとも『東海道中膝栗毛』の六編下には「酒の肴にもちとはどふだ」が見える。